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夜のしじまブログの概要

夜のしじま 意味考察

 

“しじま”という言葉には”しま”という意味が含まれています。しまという単語には昔々、土地という意味がありました。

「ワイのしまで何しとんじゃ!」というセリフは、昔の”しま”がもつ意味を受け継いでいます。一般的な現代人からすると「ワイのしま」と言われても意味がわかりませんよね。これは大和言葉の単語を使っているセリフだったんです。

同じく”しま”が使われている言葉として豊島区が例に挙げられます。豊島区の豊島とは「富んでいる土地」という意味だったのです。

では本題である”しじま”とはどういう土地なのでしょうか?きっと”し”の土地ということなのでしょう。しとは私なのかもしれないですし死なのかもしれない。

和言葉にはそもそも漢字はありませんでした。なので漢字を度外視して単語の意味を探ると、日本語の本質的なニュアンスを探り当てることができます。元々大和言葉のしにはプライベートな〜とか、終わりの〜とかいうニュアンスがあったのでしょう。しじまとは私的な・終わりのような土地・領域を意味するのだと推測できます。

綺麗な言葉で夜のしじまを端的に説明すると次のようになります。「私的で終わりを感じさせる領域

プライベートで終わりを感じさせるしじまという単語に私は魅了された。それに加えて夜も元々好きな単語なので、夜のしじまという単語は素晴らしく私好みな言葉です。

 

夜のしじま ブログ

 

私はよく夜に瞑想ばかりしています。その内容を書き留めておきたいということから、このブログを始めたという動機がある。このブログの存在と夜とは切っても切り離せない関係にある。

ヴィジョン

 

世間では色々と取り繕いがありますが、この場所では真実を語りたい。この場所では、哲理的で厳しい目からされた省察を表現したいのです。

“真実しかない”その状態を目指してこのブログは継続されます。ここは夜の厳かな哲理の審判場なのです。それにしてもテーマになることは卑近なことも含まれますが。

以上のヴィジョンを持って私は執筆するわけです。とはいってもこのブログが生まれるきっかけとなったプライベートなエピソードも話しておきたい。

 

プライベートな想い

 

私はこうしてブログを始めることになりましたが、ここに来るまでには色々あったものです。素敵な人との出会いがあった。

私が初めてインターネットに接触したのは小学生の頃。当時はガラケーが使われていました。その頃に親のガラケーをちょっと使わせてもらったら、魔法を使ってるみたいな心地だった。だって遠くにいる見たことない人とコミュニケーションできるんですよ。メールとか電話とかで。

中学生になってガラケーを手に入れたときは本当にテンションが上がった。でもすぐにスマホの時代が来て、ガラケーは駆逐された。大好きだったガラケーが消えていくのは悲しかった。寂しかった。

そんなこんなでiphoneを使っていた私の青年時代は、インターネットサーフィンに染められていた。

そんなとき出会った人がいるんです。その人はブロガー。当時の私はROM専。つまり見るだけで投稿しないユーザーだった。結局その人を見ていただけに過ぎないのですが、私はその人に強い影響を受けた。

その人の語り口調は軽快で明晰だった。その人のブログを見ていると気分爽快だった。そのブロガーは熱い想いを語るんです。でもコメントする人が誰もその人の言ってることを理解しないんです。それなのにちゃんと返信はしてあげてるんですよ。そのブロガーはほんとうに律儀だった。

私はそのブロガーの意見に共感した。毎日灰色の世界を生きていましたが、それなりにワクワクした日々を過ごせた。その人のおかげで。

でもそのブログはある日突然に閉鎖された。悲しかった。その人にいつもコメントしてるみんなも悲しんでました。それからはその人がどうなったのかわかりません。生きているのかもわかりません。だってそのブログは自殺を目指すブログでしたから。*なにも私はここで自殺を推奨するわけではありません。

かつて自分の青春時代がそのブロガーのおかげで充実したという経験がある。だから自分もブログで何かしらのことを発信してみたいと思ったのです。

私がその人に憧れていたということも、このブログが始まる原因の一つになっているというわけです

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